天国・地獄って、心の大きさ、気持ちの軽さに拠るのでは?
ということを考えてきたわけです。
そうすると、あなたはこう考えるかもしれませんね。
「どんなに悪いことをしても、気持ちが明るければ天国に行ってしまうのか?!」
「どんなに善いことをしても、心が小さければ地獄行きなのか?」
もちろん、僕には正確なシステムはわかりません。
きっと閻魔大王がいて、ちゃんとその人が死んだらどこへ行けばいいのか、
なんか帳簿のようなものをつけてくれているのだろうな、とも思います。
でも、まあ。ここではいったん閻魔様の存在はおいておいてですね。
ちょっと考えてみましょう。
本当に悪いことをした人が、心の底から笑えるのでしょうか?
他人の恨みを買うような人生を送った人が、なんの心の傷も追わずに、
負い目を負うこともなく、笑って死ねるのでしょうか?
顕在意識のレベルで心の傷を感じなかったとしても、
潜在意識・あるいは魂のレベルには、
他人の恨みを買うだけのことをしたのだ、
という罪悪感とか、同じだけの心の傷とか、あると思うのですよ。
その分だけ、やっぱり心は萎縮して重くなると思います。
逆に、普段あまり気持ちの晴れないひとでも、
見返りも求めずに、何か善いことをしたならば、
暖かい気持ちになれると思うのです。
こういうことの積み重ね、というのも
心の軽さには重要だと、僕は思います。
即効性はないけれど、じわじわと効いてくる
ボディーブローのような要因、というか。
自分が感じている表面的な気分の軽さ・明るさだけでなく、
もっと深い、魂レベルでの軽さ、嬉しさなど。
そういうものが、天国・地獄には重要なのだろうと思います。
とはいえ、
「せっかくいいことしてあげたのに、あの人はちっとも分かってくれない」
などと思っているのなら、それは独りよがりの善行であって、
独善でしかない。
そんなことでは、自分の魂はよろこばないのですよね、きっと。
本当に成功している人って、自分以外の人を
喜ばせて、幸せにしますよね。
「この人と一緒にいたい、一緒に働きたい」と
思わせてくれるじゃないですか。
そういう人は、本当にいい笑顔をみせてくれますよね。
人が勝手にどんどん集まってくると思うのです。
自分勝手な人には、どんなに有能であっても、
人はあまり寄り付かないですよね。
孤独になってしまったら、寂しいし悲しいですよね。
天網恢恢素にして漏らさず。
誰が見てなくても、自分は、
自分の潜在意識は、自分の魂は、
自分がしたことを全て知っているのです。
自分に嘘をついて、他人を蹴落として、
その場限りの楽しさを求めるより、
もっと心の底から喜べる、そういうことの実現を目指したら、
自分も周りの人も、楽しくなると思いませんか?
****************************
2-1 理科実験:水を温める
2-2 理科実験:空気を暖める
2-3 理科実験と形容詞
2-4 理科実験とことわざ
2-5 理科実験と死後の世界
2-7 理科実験と肉体
****************************